保育園時代

私の中でのはじめての″先生″という存在は一人の保母さんでした。
私はその先生が大好きでした。ニコニコしていてえくぼのかわいらしい方でした。
まだ場面緘黙になる前ではありましたが、恥ずかしがり屋でいつも先生の後ろにくっついていた記憶があります。なので、先生がお休みだと聞くと途端に元気がなくなりました。
そのわりに言うことを聞かずにベランダに立たされたりもしていました。恥ずかしがるのに気が強い…すでに厄介な部分が出始めています(笑)当時どんな風に思われていたのか聞いてみたいものです。
当時の連絡帳を見ると、園内での私の行動が細かく書かれているので今でも楽しく読み返しています。たくさんいる保育園児一人一人にこんなに丁寧に連絡帳を書いていたなんて、とても細やかな配慮が出来る方なのだと思います。
残念ながら、私たちが卒園する前に寿退社されてしまいましたが、その後サプライズで近くの公園に来ていたことがあり散歩の途中で先生に会いびっくり!それはそれは園児一同大歓喜でした。
実は今でもこの先生とは年賀状のやりとりをしています。かれこれ35年くらいでしょうか?父が亡くなった時、私が結婚した時も贈り物をくださいました。本当に気遣いのできる憧れの女性です。
小学1年生
私が小学校で唯一、年間通して喋っていた小1時代。担任は年配の女性でした。確か翌年定年で、私たちが最後の教え子だったと思います。この先生も優しい記憶しかありません。私も喋っていたので、おそらく普通の生徒として接していたのではないでしょうか?
学芸会でセリフも言えていましたし、絵と作文が得意で運動神経の良い、猫が好きな女の子と思われていました(当時の年賀状を見る限り)。絵と作文はその後も好きでしたが、緘黙になってからは体育で思うように身体が動かせなくなったため運動神経がいいと思われたのはおそらくここまででしょう。小1で私の体育は終了しました。体育(スポーツ)に関してはまた改めてお話しします。


とまぁ、緘黙になる前の先生との思い出話としてはこんな感じです。それ以外にも出会った先生はいるのですが、印象が強いのはこちらのお二人ですね。
お二方は私がその後場面緘黙になったことは知りません。ずっと年賀状を続けている先生にも一度も言ったことがありません。
もし、緘黙になった後で出会っていたらお互い印象は変わったでしょうか?それでもほかの子と変わらず優しく接してくれたんじゃないかな、と勝手な妄想をしてしまいます。
誰にでも優しくて心の広い穏やかな先生は緘黙児でなくとも親しみを持てますよね。私は幸運にも小学校低学年まではいい先生方に出会えたので、緘黙になって心は閉ざしましたが大人を嫌ったり不信感を持つことなく過ごしてきました。
幼少期に出会う大人ってとても重要だと思うんです。自分が不安を感じやすいから特に思うのかもしれませんけど、毎日怒られたりして育ったら自分に自信がなくなりますし、自分がやられたことと同じことを相手にしてしまうかもしれません。
人に安心感を与えられる、私もそんな人になりたいです。
こちらのサイトも参考になさってください→ かんもくネット
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