先日こちらのセミナーへ行ってきました↓
※おおもとのサイトがもう見れなくなっていたので、NPO法人ぴあっとさんの情報サイト「みかた」のリンクを貼っています。
講師は川崎市にある子どもの居場所「フリースペースたまりば」を運営する西野博之さん。
そして、講演後には西野さんをコーディネーターにお迎えし、市教育委員会の丸岡智美さん、不登校児をもつ親の会「ほっとけ〜き」の福井亜希代表、田名地区社協の田所恒男会長が相模原の子どもを取り巻く現状についてディスカッションが行われました。
まえおき
前回の投稿で書いた通り、私は講演会が苦手です。でもそうは言っても興味のあるものには参加したいので、お誘いを受けたこともあり行ってきました。
結論からお伝えしますと、寝ませんでした!!(威張ることではない)
講師の方のお話がとても興味深く、またお声も優しい感じで聴き入ってしまいました。
講演会スタート
講師の西野さんは、神奈川県川崎市にある子どもの居場所「フリースペースたまりば」の理事長です。私は川崎在住なこともあるからなのか、たまりばの名はなんとなく耳にしたことがありました。
名前の由来は「子どもたちのたまり場」ってことかなぁと思っていましたが、拠点が多摩川沿いであったことから多摩+riverで「たまりば」だそうです。
なんだかオシャレ!
居場所づくり
たまりばさんでは学校に行けない子どもたちの居場所づくりをしてます。「やってみたいことにチャレンジする機会」、「安心して失敗できる環境づくり」を大事にされているそうです。
大人は、子どもたちが失敗しないようにと、ついつい先回りをしてレールを敷いてしまいがちです。
ですが、そうしてしまうと子どもたちが自分で考える機会がなくなり、危険を予測することも新しいことにチャレンジをする力も失われ、どんどん自己肯定感が低くなってしまいます。
自分がそこに存在してもいいんだと思える自己肯定感や自尊感情を育むことが大切で、それは社会全体にも必要なことではないかということでした。
「大人の良かれは子どもの迷惑」
不登校って何よ
西野さんは不登校って言葉に違和感を持っているそうで、それは私も以前からモヤっていました。登校できるのが当たり前で、登校できない子には「不」をつけるというのはいかがなものかと。
ダメな子というレッテルを貼られているようでいやですよね。
ただ、私の子どもの頃は「登校拒否」と言っていたことをふと思い出しました。よりひどいですよね。そして「不登校」という言葉が出てきた時、だいぶ柔らかい呼び方になったなと思った記憶があります。
それでも数十年経つとやはりこれは違うんじゃないか、と思わせる。言葉って不思議です。
誰も傷つかない言葉選びって難しいですね。
場面緘黙ってネーミングはどうよ
関連して、場面緘黙という言葉もここまで何度か変化を遂げています。
英語ですと「Selective Mutism」となり、それを直訳すると選択性緘黙症となります。ただ、これでは話す話さないを選んでいる(選択している)と捉えられてしまうということで、場面緘黙症となりました。
そこからさらに、「症」がとれて今は「場面緘黙」とすることが多いです。
なぜ「症」をつけなくなったかの理由はあまり明言されていないのですが(すみません、私の調査不足かもしれません…)、ある書籍には「保護者の中には子どもに、否定的なメッセージを送ることを少しでも避けたいと考える人がいるため」と書かれていました。
個人的には「それちょっとよくわからないな」と思いました。
「症」をつけると否定的なのかな?そうやってふわっとさせるから、「で、緘黙って要するになんなの?」「障害とかじゃないならやっぱり甘えなんじゃないの?」と思われてしまうんじゃないのかなと思っています。
私は緘黙も、自閉症や発達障害といった症状、障害として本人も周りも受け止めた上で対応策を考えていった方が良いと思っているので。
選択性緘黙症→場面緘黙症→場面緘黙と変化しています。
が、ネット上では全部出てきてしまうのでもはやどれが最新かよくわからない状況になっています。
※ちなみに英語でも何度か呼び名が変わっています。
心に残った言葉
さいごに、西野さんの講演で心に残った言葉をあげておきます。
・子どもの「自信」を奪う親の「不安」
・大人の良かれは子どもの迷惑
・「だいじょうぶ」という安心の種をまこう
・「支援臭」がすると逃げる子どもたち
・「困った子」ではなく「困っている子」
・To do(する・できる)よりTo be(ある・いる)
学校へ行けなくても居場所はたくさんあります。子どもたちが、自分が自分でいられる居場所を見つけられるよう大人が静かにサポートしていけたらいいですね。
コメント