入学式
さて、いよいよ中学生です。ぶかぶかの制服を着て桜の咲き誇る正門をくぐると、まずはクラス分けの貼りだされているところへ向かいます。小学生の頃から喋れた友だちと一緒だ、とほっと胸をなでおろし、教室でしばらく先生の話を聞いたあと入学式まで待機。
私にはこの日大きなミッションがありました。それは入学式の呼名で「はい!」と返事をすること。公立なので同じ小学校出身の子が多数いましたが、中学になったら喋る!とずっと決めていたので、その固い決意を胸に式典に臨みました。
そして入学式が始まりました。私は1組でしかも前の方でしたのでたいして準備する間もなく名前を呼ばれ、なんとか「はい!」と返事をすることができました。あっという間の出来事でしたが、私の人生で一番勇気を出した一瞬だったかもしれません。なにせ小2の二学期以来、4年半ぶりぐらい?に人前で声を出したのですから。しかも全校生徒の前で。
数年前に友だちから聞いたのですが、同じ小学校出身の子たちは「はにかんが喋った!」ざわついていたそうです。
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中学1年生
最初の担任の先生は年配の男性でした。穏やかだけど怒ると怖い、そんな印象がありました。
家庭訪問の時、先生が帰った後のテーブルに新聞記事が置いてありました。親が戻ってきたらまずいと思ってちらっとしか見ませんでしたが、喋れない子に関する記事でした。場面緘黙のことについて先生と話したのでしょう。今思えばあの時に聞いていればもっと早く緘黙のことを知ることができたのに残念です。親も私も「私がしゃべれないこと」に関する話はタブーみたいな空気だったので、お互い何も聞けませんでした。
通知表の所感の欄には三学期とも「自信をもって!」と書かれていました。
このころ学年のキャッチフレーズ(?)に「実力は自信の後からついてくる」というものがありました。良い言葉だなと、今でもたまに思い出します。喋るようになったとは言っても、子どもの頃の4年半というのはあまりにブランクが大きすぎました…。先生は、まだまだ聞かれたことに答えるぐらいが精一杯で、人とのコミュニケーションの取り方が分からなかった私に通知表越しにずっとエールを送ってくれていたのでしょう。
中学2・3年生
2,3年は30代の男性の先生でした。生徒と一緒に泣いたり笑ったり悲しんだり、時にキレたり(笑)おもしろい話や怖い話などもたくさんしてくれました。先生というよりは親戚のお兄ちゃんという感じの方でしたね。
さて3年生になると進路の話になります。私は決めていた高校があったのですが、先生には「本当にいいのか?」と言われました。場面緘黙の子にとって進学は新たな環境で自分を変える良いきっかけになります。しかし、私の行こうとしていた高校は地区内の公立校でしたので、また知っている顔が何人もいることになります。変わろうとするには条件は悪いです。せっかくだから遠くの学校で仲のいい友だちと一緒のところがいいのではないかと(直接的な言い方はしませんでしたが)先生は進めてくださいました。
ただ、ここで私のしょうもない負けず嫌いとお金大好きな性格が出てしまい、自分の行く末など全く考えられていなかったのです。その高校は地区TOPの学力で兄も以前通っていたところでしたので、私も絶対ここに行くんだ!と前々から決めていたのです。それに私立や公立でも電車で通うところは親の金銭的負担が大きいと思ったので選択肢になかったのです。
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おそらく、中学では先生たちの間で私と仲のいい友だちを3年間同じクラスになるよう調整していただいたと思われるので、ほかの子とあまりうまくコミュニケーションがとれなくても孤立せず卒業することが出来ました。
ということで、たくさんの方にフォローしていただき中学は無事終わりましたが、先生の「本当にいいのか?」の真意を汲み取れなかった私は、高校でとても苦労することになるのでした。
こちらのサイトも参考になさってください→ かんもくネット
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