もうすぐ梅雨到来ですね。近くの小径にも紫陽花がきれいに咲いています。紫陽花って土質によって色が変わると聞きますが、同じ場所にこんなに様々な色の花が咲き並ぶのはなぜなのでしょう ?
緘黙児としての学校生活
さて、そんなこんなで学校で喋らなくなった私ですが、親に言うこともなくそれまで通り毎日学校へ通っていました。なので、親が私が学校で喋っていないと知るのはもっと後のことです。
当時声を出せていない、みんなと違う、という認識はあったと思うのですが、バレてはいけない!とでも思っていたのでしょう。フツーを装っていました。
また、不登校になる子もいるようですが、私の場合休んだことによりその後不安が倍増するので、熱が出ているとかよっぽどヤバい状態でない限り休みませんでした。
実際に休んで困ったことが、覚えている限り2回あります。
休んだ次の日学校に行ったら…
まず一つ目は、授業が進んでしまうこと。 授業は生徒一人休んだところで止めてくれる訳では無いので、休んだ子は次の日「ノート見せて」とか言えばいいのでしょうけど、それが出来ないので分からないままになってしまいます。
次に2つ目は席替えがあった時。 たまたま私が居ない時に席替えがあり、翌日自分の席に違う子が座っていたために固まってしまいました。しばらくすると誰かが私の異変に気付いてくれますが、それまでは不安状態が続いています。
席替えなどはおそらくその日でなくて良いと思うので、そういう子が出席している時にして欲しいです。 緘黙に関わらず、環境が急に変わることがストレスになる子がいる場合には、なにかしらの配慮が必要だと思います。
通常ならただ聞けばいいことでも、声が出せない本人にとっては大問題となります。ここから「もう休んじゃいけないんだ」の日々が始まります。とにかく勉強が分からなくなることが一番嫌でした。
幸い勉強や絵を描くことが好きでしたので、休み時間一人でも平気でしたし、学校をそれほど苦痛には感じていませんでした。嫌なことを言われたりされたりはゼロではありませんが、良い人が多かったのでイジメられることもありませんでした。多分。
ただ、家から一歩外に出ると声を出せなくなるので、帰ってくると寝るまで喋っていた気がします。それはそれで親は大変だったでしょう。
風邪を引けない、忘れ物が出来ない、失敗が出来ない…と、とにかくずっと気を張っていました。おかげで、喋らないけどしっかり者にはなれました。あとは一度席に座ったらトイレに行くとかなかなかできませんでした。動いている自分を見られるのが怖いんですよね。それを緘動といいます。緘黙経験者は”あるある”だと思いますが、そうでない方にとってはよく分かりませんよね。
大人になった今でも質問するとか自分の考えを伝えるとかはやはり苦手ですし、飲み会の途中で席を移動するのも苦手です。目立つ言動(たいして目立っていないのにそう思ってしまう)はいまだに難しいです。
ただ、歳のせいもあり忘れ物は増えましたね。これはどうしようもないです(笑)
こちらのサイトも参考になさってください→ かんもくネット
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