「場面緘黙はずるい!」という意見をたまに聞きます。私は直接言われたことはありませんが、ネットで検索するとやはりちらほら出てきます。ということで、今回は『緘黙・ずるい』について書こうと思います。
『ずるい』はどういう感情?
この場合の『ずるい』は、「学芸会や発表会で喋らなくて楽でいいよな」とか、「あの子が何もできないから私たちのやることが増えるんだけど!」みたいな感じですね。
私も話すことってこんなに大変なのにみんなはすごく頑張って話しているんだ。自分は努力が足りないんだ。と思っていた時期がありました。だから、私が学芸会でセリフを言えないことで誰かが余計に話さなければいけなくなることに、とても申し訳なく感じていました。
「緊張するのはみんな同じなのにひとりだけ逃げるのはずるい!」そう思われているんだろうなぁとは自分でも思っていました。
しかし、大人になって場面緘黙のことを知ってそれは違うとわかりました。
『ずるい』ということは、自分も嫌なのに仕方なくやっているから、やらない人がいると気になるということですよね?または依怙贔屓されてるとか。仕事でもありますよね。
「喋らなくてずるい!」はそういう特別な時に感じるのでしょうけど、その子は学芸会の時だけ喋らなくなっていますか?普段友だちとゲラゲラ笑っているのに「あ、私そういうところで話せないんで」と自分で断ってきますか?また、「しめしめ、面倒なことから逃れられたぜ」みたいな顔をしていますか?違いますよね。
喋れないということ
周りの人には、普段の生活で声を出せないということがどれだけ大変なことか、想像がつかないのだと思います。
まずお友だちとは話せません。
挨拶もできません。
歌えません。
「先生トイレに行っていいですか?」が言えません。
体調が悪くても言えません。
痛い、やめて、が言えません。
せき、くしゃみ、鼻をかむ、できません。
日々ものすごく困っています。心の中で「助けて!」と訴えています。それなのに『ずるい』と思われていたとしたらとても悲しいです。なにも得してないのに…。
むしろ、緘黙側からすると周りの子たちに対して逆の感情を抱いているかもしれません。『普通に話せるって楽でいいな』と。
喋れないということは、嫌なことからだけ逃げているのではなく、みんなと学校生活を楽しむ時間もつくれないのです。
動けないということ
また、多くの緘黙っ子は緘動もあるので声を出さなくていいことも出来ません。
運動ができない
踊れない
着替えに時間がかかる
誰かが机の横を通る時は手を止める(図工の時間に絵を描いてる時とか書道とか)
などなど。とにかく固まってしまうんですよねぇ~。
喋らなくて良いことなら多少できることもあるんですけど、基本的には何かしている姿を見られることに不安や恐怖を感じるので、意外と声を出さないことでもできないことって多いのです。
こればっかりは、本人たちもうまく説明できないことなので、まぁそういうものだと思ってください(笑)
まとめ
Q1.ずるい?
A1.ずるくない:なにも得してないので
Q2.甘えじゃない?
A2.甘えではない:誰にも甘えられていないので
Q3.楽してる?
A3.楽していない:ちっとも楽ではないので
不安から逃れる為に身体が喋ることをストップしているような状態なので、本人にはどうすることもできません。楽しようとして話さないのではありません。防衛本能です。
なのでそこを無視してとにかく喋らせようとするのではなく、不安を少しづつ取り除いてあげることが大切です。
もしそれでも『ずるい』と思うなら、一週間学校で誰とも話さず過ごしてみてください。なにか分かるかもしれません。
※場面緘黙の症状はひとりひとり違います。少しなら話せる方、逆に全く表情がつくれない方など、様々な方がいます。ここに挙げた症状は一例に過ぎず、全ての場面緘黙の方に当てはまる訳ではありませんのでご了承ください。
こちらのサイトも参考になさってください→ かんもくネット
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